パン作りには欠かせないイーストですが、「天然酵母」という造語があるがゆえに、「イースト」という言葉に対して、なんとなく良いイメージがない方が多いと思います。この記事では、
「そもそもイーストって何?」、「パン屋で見かける”天然酵母パン”と何が違うの?」、「イーストって天然ではないの?、体にわるいの?」
などの疑問を、日本パン技術研究所や、日本イースト工業会の見解を引用しつつ、やさしく解説していきます。酵母についてきちんと理解すれば、パンを作るときや、店頭でパンを選ぶときの参考にもなります。
まずは結論から:
結論:
- 「イースト」にも「天然酵母」にも、パン発酵に向いている同じ酵母(微生物・菌株)が含まれている。
- この酵母は自然界に生息しているので、天然=Naturalである。
- 両者の違いは、この酵母が純粋培養されているか、その他の微生物(特に乳酸菌)と共生しているかである。
そもそも、酵母は、英語でYeast(イースト)です。「イースト」と「酵母」は科学的に同じ微生物グループのことを指します。日本語表記か、カタカナ表記かの違いです。
補足:
また、パン業界的には、「天然酵母」「イースト」という表現は誤解をまねくので、利用の自粛と、かわりに、それぞれ「自家培養発酵種」「パン酵母」と呼ぶことが提案されています(※参考:一般社団法人日本パン技術研究所「天然酵母表示問題に関する見解」)。
ここまで読んだだけでも、「イーストについて、勘違いしていた」と思った方も多いのではないでしょうか? ちょっとマニアックな記事になりますが、参考文献なども併せて、ぜひ酵母の世界をのぞいてみてください:)
※記事を書いているわたしの参考経歴:専門学校で1年間、製パンを学んだ後、ホテルのベーカリーで5年間パン職人として勤務。イースト(パン酵母)はもちろん、普段からルヴァン、ホップス種、サワー種を利用したパンを仕込んでいました。正直、これらの発酵種は、管理が難しく毎日みてあげないといけないので、家ではもっぱらイースト(パン酵母)でパンを作っています。
一般的に製パンにおいて私たちが「イースト」(パン酵母)と呼んでいるものは、自然界に存在している酵母のうち、パンの発酵に適した働きをする複数種の菌株のことを指しています。
- イースト=酵母(英語:Yeast・日本語:酵母)は、科学的には、何100種類もある「酵母」という微生物の総称です。
- この、”酵母グループ”の中でパンの発酵を得意とする菌株を自然界から切り離し、純粋培養させたものを「パン酵母※」と言います。
- このパン酵母のことを、日常的に「イースト」と呼んでいます。
一方、「天然酵母」(=自家培養発酵種※)と私たちが呼んでいるものは、果実や穀物に生息している上記パン酵母を培養させたものです。
特徴:
- 培地となっている果実や穀物に生息する、パン酵母以外の微生物(特に乳酸菌)がバランスよく共生している。
- 発酵種と呼べるには、パンの発酵もきちんとできることが必須。
※パン酵母や自家製培養発酵種は、社団法人日本パン技術研究所が推奨している名称。詳細は、「3.そもそも「イースト」と「天然酵母」は、表現的に適切なのか?」に記載しています。
■ では、このイースト=酵母は、どのような微生物なのでしょうか?
酵母は、自然界のあらゆる場所に生息しており、下記の2つの方法で生命維持をしています。
- まわりに酸素があるときは、呼吸をし、増殖します。
- パン生地のように、酸素がないときは、増殖をやめ、まわりにある糖分を取り込み、自身の酵素で糖分を炭酸ガスとアルコールに分解して生命活動を続けます。この活動を、発酵といいます。
☞関連記事:パンの発酵の仕組みと、発酵を左右する要因【わかりやすく図解】
■ 酵母の種類はたくさん
酵母とは、100属700種の微生物の総称です↓
一般的に製パンで使用する「イースト」と私たちが呼んでいるものは、酵母(総称)の中の、サッカロミセス属の中の、セレビシエ種(Saccharomyces cerevisiae種)に分類される菌株のうち、製パンに適する働きをする、複数種のことを指します。
このサッカロミセス・セレビシエ種の菌株のなかには、ビール、ワインや酒の発酵に活用するものも含まれています。すべて酵母なので、製パン用の酵母であることを区別するため、「パン酵母」と呼ぶのが正確です。
そしてこの酵母(サッカロミセス・セレビシエ)は、「天然酵母」にも、含まれています。
2.「天然酵母」と「イースト」の違いは、共生している微生物の多様性
製パンに適した酵母(サッカロミセス・セレビシエ種)が不在では、パン生地は発酵できません。
なので、「イースト」にも「天然酵母」にも、この同じ酵母(サッカロミセス・セレビシエ種)が含まれています。
ただし、両者の違いは、含まれる微生物の種類です。便宜上、ここからは、「天然酵母」については、「自家培養発酵種」と呼びます。(理由は次章で、解説します。)
- イースト(インスタントドライイースト、生イースト等)は、製パンに最も適した、サッカロミセス属セレビシエ種(パン酵母)を、純粋培養したものです。自然界の酵母を培地に棲みつかせて、その中で酵母が増殖したものを製品化しています。なので、パンを発酵させるのが得意です。野球チームで例えるなら、プロ野球選手のみで作ったプロチームです。
- 「自家培養発酵種」は、果実や穀物に生息している酵母を培養させたものです(ルヴァンやレーズン発酵種など)。果実や穀物には、パン酵母以外の微生物(乳酸菌など)も生息しています。これらの微生物は、パンの発酵が得意ではありませんが、パンの風味や香りをもたせてくれます。野球チームで例えるなら、様々なスポーツのプロ選手で作った野球チームです。
イースト(パン酵母)は、パンの発酵専門ですが、「天然酵母」は、パンの発酵はそこそこに、ただイーストには出せない、香りの生成が得意です。
両チームが発酵対決を行ったら、イーストチームが勝ちますが、プレースタイルは、「自家培養発酵種」チームのほうがバリエーション豊富です。果実や穀物の種類によって、チーム編成がその都度かわるので、それがパンに独自の香りや食べ応えをプラスします。
この見解を示す際、参考にされたのが、日本イースト工業会が、平成 15 年 に食糧庁長官に「天然酵母」に関する見解を報告した内容です。下記、は「天然酵母表示問題に関する見解」内で紹介されている、日本イースト工業会の報告書の要約です。
「天然酵母」に関する、日本イースト工業会の見解
日本イースト工業会として「天然酵母」の定義は行っておりません。パン酵母は、カビ、酵母、細菌などの種々の微生物が生息している自然界から、最も製パンに適したものを選別して培養したものです。酵母は英語でイースト(Yeast)です。イースト=酵母です。生き物である酵母に「天然」や「人工」という区別はありません。天然酵母使用と印刷物に記載されているパンが見受けられますが、イーストに天然と人工の区別はありませんので、ことさら天然酵母を強調する言葉を使うことは不適切であると考えております。
上記でも触れられていますが、
イーストは、英語でYeastです。
酵母も、英語でYeastです。
酵母もイーストも、正体は同じなのです。
そして、酵母はたくさんの種類があり、わたしたちが製パンで「イースト」と呼んでいるものは、酵母の中でも、パン作りに向いている性質を持つ酵母のことを指します。
■ 外国製のドライイースト製品の表示について
ちなみ、諸外国で販売されている外国製のドライイーストの表記を見てみると、
・英語では、”Natural yeast”
・フランス語では、”Levure naturelle“
(Levureは、酵母という意味)
・中国語では、「天然酵母」です。
自家培養発酵種(いわゆる「天然酵母」)は:
・homemade yeast
・your own yeast(自分で起こした酵母)
・wild yeast(野生酵母)
などと表現されています。
日本と違い、Yeast=Naturalということが明記されており、表現としてわかりやすいです。
■ なぜ日本だけ、呼称が分かりづらいのか?
これについては、社団法人日本パン技術研究所は、パン関連業界が、パンで使用する酵母の呼称を、明確に定義していなかったことや、イーストの科学的な理解が不十分であったからなどの理由を挙げています。
では、「イースト」や「天然酵母」はどのように呼ぶのが、誤解がなく、その様を適切に表現できるのでしょうか?
- 製パン技術の職業教育
- パン類の加工技術及び品質・栄養に関する研究調査
- 食品安全衛生の指導・監査
- http://www.jibt.com/organization_divid.html#pourp
4.「パン酵母」「自家培養発酵種」と呼ぶのが、推奨されている
イーストは天然(Natural)なので、いわゆる天然酵母にだけ、天然とつけるのはしっくりこない、ということが分かってきました。
では、両者の違いは何か?
生息している微生物の多様性です(2章参照)。それをどのように、わかりやすく適切に表現できるのかについて、現状では、下記の提案がされています。
- 「イースト」→「パン酵母」
ドライイーストや、インスタントドライイースト等、製パンに向いている酵母を自然界から分離して、純粋培養させた製品。 - 「天然酵母」→「自家培養発酵種」
“昔ながらの方法で種起こしを行うパン種”
果実や穀物に生息している酵母や微生物(特に乳酸菌)の培養を繰り返し、製パンが可能な発酵力を得た種。ただし、自分で、種起こしから種継ぎまでを行うことが条件。 - 「簡易発酵種」
いわゆるスターターと呼ばれるもの。自家培養発酵種を業者が一部行ったものを粉末化した製品。あるいは、自家培養発酵種から、主要な酵母と乳酸菌を分離し、純粋培養し粉末化した製品のこと。(自分で1から種起こしをする必要がないので「簡易発酵種」)
上記の見解の詳細については、下記に報告書の抜粋を記載します。また、その他勉強になる参考本はこちらにまとめたので、興味のある方は併せて参照ください。
参考:一般社団法人日本パン技術研究所「天然酵母表示問題に関する見解」より抜粋
製パンに不可欠な酵母は、①イースト、②自家培養発酵種、③簡易発酵種のような方法で利用されます。そして、これらの中の酵母菌株は生物学的に全て酵母であって、あえて天然という接頭語を付けるのであれば、全ての酵母を天然酵母と言う事が出来ます。<中略>したがって、酵母にだけ天然を用いるのは避けるべきであり、一部のパンに天然酵母表示が見られる現状のパン市場には改善が必要であると考えられます。
なお、パン業界の一部で天然酵母表示がなされている背景には、パン酵母をイーストと英語名で表示するパン関連業界の慣習があると考えられます。イーストという呼び方には、消費者の一部に、イーストが酵母と異質で、非天然、あるいは安全性が低いもののような誤ったイメージを与える傾向が認められ、このようなイメージを利用して天然酵母表示を用いていると考えられるパン製品が市場には認められます。そこで、このような混乱を避けるために、パンの原材料名表示のイーストをパン酵母あるいは酵母に変更する事が望ましいと考えられます。酵母は様々な食品に利用されていますが、酵母をイーストと表示しているのはパンだけと言っても過言ではないかと思われます。
まとめ
- わたしたちが何となく区別してしまっている「イースト」も、「天然酵母」もその実態は同じで、自然界に生息する、パンの発酵が得意な酵母(サッカロミセス・セレビシエ種)の菌株である。
- 日本ではYeastを、カタカナ表記の「イースト」で表記するか、日本語訳の「酵母」で表記するか、呼称が統一されていないので、両者が違うもののような印象を受けてしまう。天然 vs 人工のようなイメージを与えてしまう「天然酵母」の呼称は、パン業界的には要改善との強い見解があり、「自家培養発酵種」「パン酵母」の呼称の利用が提案されている。
- 酵母(Yeast)とは、単体の特定の微生物の名称ではなく、何100種類もある微生物の総称(グループ名)。これら数ある酵母の中で、パンの発酵が得意なものを、「パン酵母」と呼び、パン作りに活用している。
- パン酵母は、「イースト」にも、「天然酵母」にも含まれており、パン酵母なしではパンは発酵できない。
- インスタントドライイースト等の製品は、パン酵母が純粋培養されたもの。パンの発酵に特化しているので、わたしたちは安定しておいしいパンがいつでも焼けて、食べられる。対して「天然酵母」は、パン酵母以外の乳酸菌などの微生物が共生している発酵種のことを指す。共生している微生物の働きで、風味豊かなパンをわたしたちは楽しめる。ただし、発酵種と呼べるには、製パンに適した発酵力を保有していることが必須。
最後に…
今回は、イースト、天然酵母の対比という視点から、イースト=酵母について記載しました。厳密には、イーストはパン酵母と記載することが業界的には推奨されていますね。スーパーなどで大手の食パンの成分表示を見てみても、「パン酵母」と表記されていたりします。
しかし、普段のベーカリーの現場や、わたしたちの日常会話のなかでは、正直イーストと言ったほうが、何を指すのかが分かりやすいのは確かです。スーパー等でインスタントドライイーストといった製品を見ているから、イメージしやすいですよね。ただ、「天然酵母」という言い方には、やはり個人的にも違和感があるので、個人的には自家製の発酵種などと言っています。普段の会話で「自家培養発酵種」というのもちょっと硬いかなと。
統一された呼称と定義はもちろん必要ですが、個人がきちんと酵母とはなにか、パン酵母とは何かを理解していることのほうがポイントです。理解していればそもそも「天然酵母」という言葉のイメージに惑わされないですし。なので、もしあなたの友達が、「わたしは天然酵母のパンしか食べないわ、イーストはちょっと…」などと言った日には、やさしく論破してあげてください。それを踏まえた上で、伝わりやすい言葉でコミュニケーションを取れればよいと思います。どうですかね?
それでは今日も、パン作りを楽しんでください:)
今回の記事を書くにあたり、下記のHPと本を参考にしました。本
■ 一般社団法人日本パン技術研究所「天然酵母表示問題に関する見解」
抜粋した内容以外にも、消費者意識調査の結果など、興味深い統計もたくさんのっています。また自家培養発酵種については、実験結果などものっており、さらに詳しく知りたい方向けの文献です。
http://www.jibt.com/image/tennenkobohyoji.pdf
■ 初心者、パン業界者、DONQファン向けの本
DONQが製作した本です。パンの基本的な材料の説明や酵母のQ&Aコーナーがあり、初心者でもとても読みやすいです。ルセットは、ドンクのもので、それぞれパンの説明や歴史などが記載されており、パンへの愛着がわくような本です。工程については、ミキサー等の設備の利用が前提です。家庭でそっくりそのまままねして作れる感じではないですが、挑戦はできます。
■ パン業界者、マニア向けの本(工程写真が豊富)
二瓶氏の著書です。こちらのほうが、内容がより詳細ですが、込み入っていてむずかしい部分もあります。パン業界の方はもちろん、マニアックな方も好きになれる本だと思います。バゲットなど伝統的なパン中心で、各工程や、焼成の様子が分刻みで写真になっているので、とても分かりやすく、他にはないタイプのパン本です。おすすめ。