本記事では、イースト(パン酵母)の基本的な生態について説明します。特に、パンを趣味・仕事で作る方向けに、知っていれば役に立つパン酵母の特性や、それをパン作りに応用した製法をまとめました。やや教科書的な内容なので、さっと一読できるよう、なるべくイラスト・写真多めを意識しました。
より入門編的な内容は、前回の投稿「イースト(パン酵母)とは①「天然酵母」と何が違うのか?【解説】」で解説しているので、併せてどうぞ。
■ この記事のポイント
- パン酵母の生態がわかれば、生地の中で何が起きているのかが、イメージしやすくなる。
- パン酵母の特性を活用した製法(冷蔵法・冷凍法)について知れる。
- 製法を取り入れれば、作業工程を効率化できる(特に町場の方)。
※基本だけさくっと分かればよい方は、目次番号1.~4.まででもOKです。5.は、応用編で製法(冷蔵法と冷凍法)の種類、メリット・デメリット、活用例を記載しています。
1.イーストとは、本来「パン酵母」ではなく「酵母」のことを指す
※広辞苑より引用
【酵母】アルコール発酵を営む菌種の一群で、円形もしくは楕円形の微細な単細胞であり、出芽によって繁殖するものの総称。子嚢(しのう)菌類のサッカロミセスが主体で、ほかに担子菌類・不完全菌類に属するものがある。酒の醸造やパン製造に欠かせない。イースト。
はじめに、イースト(Yeast)は、日本語にすると「酵母」です。酵母とは、何百種類もある微生物の総称(グループ名のようなもの)であり、パンに限らず、ワインや酒、ビールの発酵向けのものも含まれます。
なので、製パン用に向いている酵母のことは、「パン酵母」と呼ぶのが正確です。
パン酵母:自然界に存在している酵母のうち、パンの発酵に適した働きをする複数種の菌株のことを指す。
※補足:現在のパン関連業界では、製パン用酵母のことを、酵母を意味する英語名(イースト)で呼ぶのが一般化しています。
■ 酵母の種類はたくさん
酵母とは、100属700種の微生物の総称です。
製パンで使用する菌株は、サッカロミセス属の中の、セレビシエ種(Saccharomyces cerevisiae種)に分類される菌株のうち、製パンに適した働きをする、複数種です。
このサッカロミセス・セレビシエ種の菌株のなかには、ビール、ワインや酒の発酵に活用するものも含まれています。すべて酵母なので、製パン用の酵母であることを区別するため、「パン酵母」と呼びます。
市販されているインスタントドライイースト製品の中にも、自分で果実や穀物から起こした発酵種の中にも、サッカロミセス・セレビシエ種の菌株が含まれており、この酵母の発酵力がなければパンは作れません。
2.細胞の構造
こちらが、パン酵母の細胞の構造図です:
- 細胞壁:酵母の形態を維持する骨格。成長とともに厚くなる。
- 細胞質膜:脂質が主体で、弾力がある。酵母の身体を保護し、膜を通して、パン酵母に必要な養分を外部から吸収する。
- 原形質(細胞質):生命の維持に重要。ここが変化し、復元できなくなると死滅する。
- 液胞:アミノ酸などの食物貯蔵庫(ドライイーストにはない)。成長とともに大きくなり、最終的には、細胞の大部分を占めるようになる。
- 核:遺伝子DNAのあるところ。
- 顆粒体(ミトコンドリア):各種酵素が入っている。
3.生地のなかでの生命維持活動
酵母は、自然界のあらゆる場所に生息しており、下記の2つの方法で生命維持をしています。
- まわりに酸素があるときは、呼吸をし、出芽して増殖します。酵母は、葉緑素(光合成に必要な天然色素)をもっていないので、まわりから直接栄養(食物)をとらないといけません。必要な栄養は、炭素(糖など)、窒素(硫安など)、リン(リン酸など)、ビタミン、ミネラルです。
- パン生地の中のように、酸素がないときは、増殖をやめ、まわりにある糖分を取り込み、自身の酵素で糖分を炭酸ガスとアルコールに分解して生命活動を続けます。この活動を、発酵といいます。
生成されたガスは、パンの骨格となるグルテン膜に包み込まれます。最終的には、焼成時のオーブンの熱で膨張し、60℃ででんぷん(焼成後のパンの骨格)が糊化した後、パン酵母は65℃で死滅します。
4.発酵が活性化する温度帯とpH
パン酵母の活動は、生地の温度とpHに大きく影響されます。
■温度帯
- 発酵が盛んになる温度帯は、35~38℃。
- ただし、パン生地発酵の場合は、24~35℃の温度範囲が適正。(生地の雑菌や、作業性、パンの風味を考慮)
- 10℃以下で活動がほとんど休止し、4℃以下では発酵停止する。
- 60~65℃で死滅。
■pH
- パン酵母が最も活性化するのは、pH 4~6。
- パン生地発酵の場合は、pH 5.0~5.8。(生地の雑菌や、作業性、パンの風味を考慮)
- ただし、サワー種など乳酸菌や酢酸が多い発酵種を使用の生地の場合は、pHがより酸性。
5.【応用編】パン酵母の活動が休止する、低温帯を活用する
パン酵母は、10℃でその活動がほとんど休止し、4℃で休止・休眠します。この特性を活用した製法が、冷蔵法と冷凍法です。
これらの方法は、パンの中種の仕込み後、生地の仕込み後、分割後、成型後、発酵後、焼成後のいずれかの工程で、生地を冷蔵or冷凍します。
その名の通り、生地作りのどこかの工程で一回、冷蔵(4℃以下)で生地の発酵を休止する製法です。4℃を超えてしまうと、パン酵母がだらだら発酵をしてしまうので、温度管理を気を付けましょう。
メリット:
- 長時間冷蔵に置くことにより、生地が熟成され、パンの芳醇な香りが生成される。
- 生地の物理面では、グルテンの結合が強化されるので、よりソフトな製品に仕上げることができる。(→中種・生地冷蔵法)
- 焼きたてをすぐに提供できる。翌日の作業(特に朝)の時短が可能になるので、町場や、朝食用のパンを提供するホテルなどでは、とても合理的な製法。
- 一晩おく生地の仕込みなどは、手が空いた午後に回すなど、作業工程が柔軟に組める。
デメリット:
- 生地を、安定した低温度帯で、少なくとも一晩ストックしないといけないので、スペースと設備的な制限がある。
- 製法によっては、生地の扱いが難しくなる(例:成型冷蔵法など)
■ 製法の種類
- 冷蔵中種法
中種を冷蔵オーバーナイトで熟成させる製法。
【活用例】
☑食パン・ハード系・菓子系などあらゆる生地で活用可能。一晩生地を冷蔵することで、小麦粉の水和が進み、老化が遅くしっとりしたパンに仕上げることができる。 - 生地冷蔵法
仕込んだ生地を冷蔵する。
【活用例】
☑クロワッサンやブリオッシュ、食パン生地などは口当たりがソフトになる。
☑たんぱく質量が少ない小麦粉を利用した生地の場合、長時間発酵でグルテンの生成が進み、パンの物理面(骨格)が強化される。
☑イースト(パン酵母)の添加量が少ないハード系の生地では、微量のパン酵母添加量でも、低温長時間で生地の熟成を進め、パンの風味を生成する。 - 生地玉冷蔵法
分割後の生地を冷蔵する。
【活用例】
☑菓子生地・総菜生地など。冷蔵でゆるんだ生地(構造緩和)に成型で刺激をあたえる(加工硬化)ので、見た目のよい製品が仕上がる - 成型冷蔵法
成型後の生地を冷蔵する。
【活用例】
☑菓子系・総菜系パンなど。
※注意点:成型時に生地を傷めてしまった場合、その損傷部分はそのまま製品にのこってしまう。また、焼成のタイミングを誤ると、パン表面にぶつぶつしたフィッシュアイ・なし肌(下記写真参照)ができてしまい、製品の見栄えがわるくなる。
5-2.冷凍法
生地作りのどこかの工程で一回、冷凍で生地の活動を休止させる製法です。急速冷凍機などを使い、-20℃で生地を冷凍させる必要があります。
メリット:
- 冷凍した生地は、長期間保存が可能なので、大量仕込みが可能になる。
- 店舗では、ホイロと窯があれば、焼きたてパンが提供できる。(工場やセントラルキッチンで、一括で生地を仕込んで、冷凍したものを各店舗へ届けることが可能。駅ナカの省スペース店舗はこのパターンが多い)
- 冷凍生地をストックしておけば、その日の売れ行きに合わせて、品数・品種類を調整できる。
デメリット:
- パンの老化が早い。
- 冷凍は生地にダメージを与えるので、パン酵母を多めに添加する必要がある。場合によっては、その他の添加物も加えることもある。
- 急速冷凍機など、生地の発酵をはやく止め、かつ低温を維持できる設備が必要。
- ドウコン(ドウコンディショナー)など、徐々に生地の復温ができる設備が必要
- 生地玉冷凍法
分割後の生地を冷凍する。
【活用例】
☑菓子生地・総菜生地・食パン・バゲットなど。生地玉で冷蔵すれば、そこから様々な製品に成型が可能なので、多種類の商品を作りやすい。 - 成型冷凍法
成型後の生地を冷凍する。
【活用例】
☑あらゆるパン生地。ホイロと窯があれば、焼きたてを提供できる。 - ホイロ後冷凍法
最終発酵をとった生地を冷凍する。
【活用例】
☑デニッシュ生地など。デニッシュ生地は、塗玉・最終発酵をとって冷凍すれば、翌朝は生地を戻すだけで焼ける。フルーツやフィリング、仕上げに手間がかかるデニッシュペストリーの工程数を減らせるので便利。 - 製品冷凍法
焼成済みの製品を冷凍する。
【活用例】
☑食パンやローフで焼く、大きいパンや、具材が入っていない食事パン。ハード系は提供する前に、リベークするとクラストの食感が多少よみがえる。当日焼成のパンより風味がおとってしまう。
まとめ
- 酵母(Yeast)とは、何百種類もある微生物の総称であり、その中で、製パン用に向いている酵母(サッカロミセス・セレビシエ種)のことを、「パン酵母」と呼ぶ。
- パン酵母は、パン生地の中のように、酸素がない環境では、まわりにある糖分を取り込み、自身の酵素で糖分を炭酸ガスとアルコールに分解して生命活動を続ける。この活動を、発酵という。
- 発酵によって生成されたガスは、パンの骨格となるグルテン膜に包み込まれ、焼成時にはオーブンの熱で膨張したまま固化し、65℃で死滅する。
- パン生地発酵については、パン酵母の活性温度帯、生地の雑菌や、作業性、パンの風味を考慮すると、24~35℃、pH 5.0~5.8で発酵を取るのが適正と言える。
- パン酵母は、その活動が4℃で休止・休眠する。この特性を活用した製法が、冷蔵法と冷凍法である。うまく活用することで、製品の品質や作業性の向上や、朝の忙しい時間帯の作業短縮に活用できる。
☞関連記事:発酵のプロセスや、製パン工程について興味のある方は、こちらも併せてどうぞ
最後に…
本記事では、パン酵母の基本的な生態と、その生態を活用した製法を2種類紹介しました。
生地冷蔵法・生地玉冷凍法・デニッシュのホイロ後冷凍法は、利便性も高く、特に生地冷蔵法は、ストレートよりもしっとりして老化が遅いパンが焼けるのでおすすめです。
自分のお店で、普段どのようなパンを焼くかによって、適当な製法は変わります。うまく活用できれば、長時間労働のパン屋の労働環境も少しは改善できるのではないでしょうか。少なくとも、朝の出勤時間を遅らせることは可能かと思います。
ご自宅でパン作りをする方でも、生地冷蔵法(いわゆるオーバーナイトで前日に生地を仕込んで、当日は分割から工程を進める)は活用できると思います。生地の冷凍法は、おうちの冷凍庫のスペック的にきびしいとは思いますが、製品冷凍法などは、たぶん日常的に実践されている方が多いと思います。自分で焼いたパンを冷凍保存したりしますよね。
ざっくりですが、頭の片隅に留めておいて損はない情報をまとめてみました。それでは、今日もパン作りを楽しんでください:)
おすすめの参考本
この記事を作成するにあたり、下記の本を参考にしました。また、わたしがホテルベーカリー勤務時に参加していた、大手製粉会社が毎年開講しているプロ向けパン講座での資料(こちらは一般非公開)も参考にしました。
製パンの材料、製法から、歴史、パン販売で利用できる数学的な知識まで、網羅されている本です。本格的に製パンを勉強したい方におすすめの1冊です。
(また、著者の竹谷氏は自身も、千葉県にパン屋を開いています。わたしもパンを買いに行ったことがありますが、とてもおいしかったです)